七面山開創 日蓮宗 妙福寺

About Myofuku-ji 妙福寺とは

住職

妙福寺 700年の歴史

妙福寺

もとは妙福庵と言って真言宗のお寺でありましたが永仁5年(1297)9月18日、
七面山に登ろうとした六老僧の一人大黒阿闍梨日朗菩薩と波木井実長公が一夜の宿を求めた事が機縁となり時の住職も正しい法を知って改宗を決意し、翌9月19日、住職は集落代表6名を連れて登山の案内に立ち日朗菩薩が七面大明神を勧請された後、後は任せたと言われ身延の地にお帰りになられました。その後身延山九世、成就院日学上人代に寺号が授けられました。この事から當山の開基は大黒阿闍梨日朗菩薩、開山は身延山九世成就院日学上人となって居ります。

七面山との関わり

もともと七面山は山伏が修行をする行場で妙福寺はその山伏達の前線基地であり七面山の管理運営をしていましたが當山開基六老僧大黒阿闍梨日朗菩薩により日蓮宗に改宗し、その後身延山二十四世顕是院日要上人の代になって妙福寺が管理運営をしていました七面山を身延山に寄進しその功績から

 ① 妙福寺十七世 宝蔵院日照上人を七面山初代別当とする
 ② 七面山の鍵は代々妙福寺で管理する
 ③ 赤沢集落の八軒方丈檀家とする

といった条を賜りました。以来「七面山開創の鍵取り妙福寺」と愛称されるようになりました。また新任の別当職が着任する際、妙福寺に参拝をし、七面山の鍵を入手してから登山する習慣は今も続いて居ります。
又、毎年正月元旦には集落の者が集まり、住職を先頭に登詣して七面大明神の一番開帳と
元朝の祝い事をするしきたりが御座います。